麻耶『飛行少女』と『夢見る薔薇』

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私が飛んだのは14の冬だった。
地上何メートルだろう。十一階のバルコニーの手すりを越えて、重力に身を委ねた。
躊躇いもなく、宙へ。
周囲から浮いていた。何が悪かったのかもわからない。
彼女たちの笑う意味がわからない。私が少しでも話そうとすると彼女たちはいつも遮るように嗤った。
「空気読んでよ」
飛んでいってしまったら戻ってこれない。
ゆっくりと落下していく自分の体、現実感が伴わないままで目まぐるしく景色が変わっていく。地面と終わりが近づいていく。
そして、不意に違和感が訪れる。
次の瞬間、視界がふわりと固定された。私は足場のない空中に静止していた。
思春期特有の飛ぶ理由だ。それは刹那の飛行能力。
『飛行少女』は壊れるまで飛べる。
飛ぶことに溺れながらも、私はちゃんと知っていた。
こんなこと、長くは続かない。
壊れて墜ちた。
私を待っていたのは療養生活という名目の牢獄。全身の骨折。死ななかったのは奇跡だと言われる。
治ったらもっと高く飛ぼうと思っていた。また墜落しようとも空は私の居場所だった。
数日後、同じ病室に不思議な人が入院してきた。頭をざっくり切ったとかで包帯ぐるぐる巻きだった。多分、声から推測するにおじさんだと思う。ベンツにぶつかったとかなんとか。
「稚拙だねぇ」
そう言って、ミイラもかくやという包帯の集合体と化した私に笑いかけたのだった。
その人とはよく喋った。よく話すし、話を聞いてくれる人で私は居心地が良かった。お礼にといってはなんだが、内緒で煙草を喫うのを見逃してあげた。
夢だとか、友達とか人生とか青臭い小娘の話をずっと聞いてくれた。たまに向こうのアドバイスや経験や冗談を披露してくれたけども、すごく笑えて楽しくてたまに心に刺さった。
先に退院するその人がくれたのは手鏡だった。黒地に金の装飾。
「それ、持ってると飛ばないよ」
「意味わかんないデス」
「夢見る女の子は咲くものだからさ」
「夢なんてないし」
「探せばいいじゃん。勿体無い」
「てか、可愛いね、それ。もらってやらんでもない」
尊大な態度は寂しさの裏返し。
「あげるって。その代わりに何か探しなよ」
「じゃあ、お嫁さんにして。それが夢ってことで」
「ばか」
手元に残る重さ。これがあると飛ばないらしい。
この人が言うんだからそうなんだろうな、と思った。
「あんまり頑張んなよ」
「善処します」
「どうせ、人は死ぬんだから、飛ぶのはもう少し先に、ね」
頭を撫でる手の大きさと温かさ。
どうしてだろう、涙が出た。女の子から飛行能力を奪っていきやがって。

『飛ばない理由:夢見る薔薇』。
地べたを這いつくばり、根を張り、枝を伸ばし、蕾を咲かせる。薔薇は薔薇として生まれ、咲く。
誰が見ているかなど関係なく、自分が自分であるというくらい当然の事として咲く。
消えてしまう夢を見ることを捨て、生きて夢を追う。
時折、闇色の手が追ってきても振り払う。
「元気そうだね。ちゃんと生きてる」
たまにあの人に会う。相変わらず、マイペースで面白くて容赦がない。
「ぼちぼち」
「夢は叶いそう?」
「叶えます」
「君なら大丈夫。頭いいから」
なんだかなぁ、と私は照れくさくなって頭を掻いた。
叶えられそうな気がするから不思議。きっと何処でも他人のやる気スイッチを連打しまくっていることだろう。
私は飛ばない理由を空にかざす。
まだ、飛べないのだ。
魂が躰を離れるその時まで飛ばない理由。金に輝く薔薇はお守りなのだ。
『厳重に封印された日記帳』より
思春期になると少女は『飛んでしまう』という。
過去の遺物が発掘された。
それによると少女たちは周囲から『浮かない』様に気を配り、『空気を読んで』生きていたらしい。また、それ以外にも記憶や思考、話題さえも『飛ぶ』らしく、運動の後の授業では意識が『飛ぶ』など、少女たちは飛ぶ生き物であった。前述された『空気を読む』とは意図しない飛行を防ぐために空気の流れを把握し、適切に飛行を制御する技術の一つと考えられる。
ちなみに『空気を読めない』『空気を読まない』者は敬遠され孤立した。
『空気を読み、浮かない』ようにしていたことから考えるに少女たちは『飛ぶ』ことを忌避していたのではなかろうか。
飛ぶことは異端であり、飛ぶ少女は集団から『浮き』孤独を強いられる。
しばしばその鬱屈した感情が破壊衝動へ向かったことから非行少女∽飛行少女という呼び名が定着したとする文献もある。
この手鏡は『飛ばない理由:夢見る薔薇』と呼ばれている。コンパクト状の手鏡だったようだが、現在は鏡のガラス部分は失われており、蓋だけが残っている。
なお、冒頭の手記は『開封厳禁』とかかれた箱の中から発見された。同時代の手書きされた文章や電子的情報には『黒歴史』とタグつけされている物が散見される。
この手鏡と日記もおそらくそれら個人的に秘密としたい『遺物』と考えられている。ただし、肯定的に回想している文脈から、『黒歴史』の中では比較的現実との齟齬の少ないタイプ『空想少女の秘密』に分類されている。
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画像の合間に少女を脳裏で歩かせながら朗読しているととても気持ちよく拝見する事ができました。
なんだかミュージシャンのPVで使われるとイイよな~という印象でした。